passing fancy🍈

気まぐれで思いつきだけのゆる〜いブログ

いつもありがとうすぎる日常。

誰かに常に感謝して、心の中でありがとうと唱えている日常。

 

外は寒いから自然と早歩きになる日常。

目の前に歩いてくる人を見て、あ、この人は目の前に人が現れても微動だにしないんだ。と思ったり、あ、この人はすぐ退いてくれるんだ、と思ったり、

歩いているといつもささやかなことで気づきがある日常。

自分は優しい人間になりたいけど、見返りを求めないって言うのは難しいし、自分がたとえ優しくなったとしても、それを相手に強要するのはダメだと思うようにしているけど難しい。

目の前に人が現れても、相手が退くまで待つのだってそれはそれで、その人の人生の在り方。

 

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この前三軒茶屋でやってたモニチキのポップアップに行ってきた。

コアなファンが集う異様な雰囲気。ひさびさにあの独特な空気感を味わえた。

味覚と嗅覚が死んでいたときだったので(コロナではありません)正直は味はしっかりわからなかったけど、雰囲気を楽しめただけで十分行く価値があったと思う。

クラブみたいに、モニーさんの曲が流れてたし、モニーさんが一生懸命バーガーを作っているところを見れたし、(バンズにバターをペタペタ塗っていた)あの有名な某フィメールラッパー等々いろんな人たちが遊びに来てて、普段お目にかかれないようなイケてる人たちを生で見ることができたから。

自分はモニさんとちょっとだけ接触できたのでかなり満足だった。

ラッパーはラッパーとして生きているのは当然として、それ以上に普通の、いつもの、自分にとっては“当たり前”の生活をしている。

ラッパーとしての活動はあくまでもその一部に過ぎないのだと、一生懸命はたらく(?)モニさんを見ててそう思った。

 

イケてる、面白いことをしている仲間たちが、集まって、何かして、盛り上げて、人を集めて。

っていうことをまさにやっているモニチキだった。

客側だから当たり前なのに、わたしはそれを見て自分が蚊帳の外にいるような気がして、どこか寂しくなった。

 

妥協して今を生きているというわけではない。

けど、こういうのを目の当たりにすると、やはり刺激としてどこかの体の部分にちくりと針が刺さる。

かなり細い針だから、すぐに痛みは消えてしまうのだけれど。

でも一瞬でもその痛みは感じるのだ。

ああ、自分は何かしたいのか?何かを実現しようとしているのか?

自分でもわからない、いや、わかりたくないのかもしれない。

 

とにかく、人が色々と面白そうなことを、ちゃんと行動にうつして、形に示してやっていて、それにつられて、自分が動いているのを客観的にみると、自分は常にその「動かされている側」のままで良いのだろうかと問いたくなる。

 

常に思う。

自分を守ってくれるのは自分だけ。

自分を慰めてくれるのは自分だけ。

一番の理解者は自分だけ。

自分は何を考え、何をしようとしている?

その答えを見つけ出すのも、自分だけ、なのである。

今、考えていることを、もっともっと具体化して、少しずつ、行動に移していかなきゃならない。

そう、自分が自分を動かさなければ。